コキチさんと、運命の出逢いを果たしたのは 2009年8月1日。
あの日、車道と歩道を分ける縁石の横でモゾモゾしているコキチさんを見つけたのは、バイト帰りの妹でした。
その日の妹は、深夜過ぎまで仕事があったため、帰路についたのが午前4:30頃。8月ということもあり、空にはうっすらと朝日が昇っていました。
そんないつもの帰り道、車を運転していた妹は、道路の隅に横たわる黒い物体に目が止まります。
「うわ… でかいネズミが死んでる… 」と、その物体を踏まないよう、ハンドルを切って通り過ぎました。
しかし、神の啓示かコキチの念か、一度はネズミだと思ったにもかかわらず「もしかしたら子猫かもしれない…」妹はそう思い直し、引き返したのです。
すると妹の予想通り、その黒い物体はネズミではなく、生まれたばかりの本当に小さな猫の赤ちゃんでした。
こうして、コキチと初対面した妹ですが、あまりに小さなその体とボサボサの毛並み、片目が目ヤニで閉じてしまっている状態に不安を感じ、早朝にもかかわらず、私に電話をしてきました。
事情を聞いた私は「近くにお母さん猫がいたらきっと迎えに来るだろうけど、近くに人間がいたら怖がって来なくなっちゃうといけないから、離れて見てて。」とだけ告げて電話を切り、ダンボールと布を用意して、すぐに現場へと向かいました。
妹の電話からおよそ1時間、結局母猫はコキチさんを迎えには来ませんでした。
そして現場に到着した私は、震えている小さな小さなコキチさんにハートを射抜かれ、2秒で「よし私が育てる!」と決めたのでした。
もくじ
育児
「育てる!」と決めたものの、猫の赤ちゃん(しかも産まれたばかり)を育てた経験のない私は、とにかくアタフタします。
とりあえずダンボールに布を敷いて、お湯を入れたペットボトルを脇に置き、保温の確保はしたものの、午前6時では動物病院も開いていません…(泣)
この時は、助けてあげたいのに何もできないもどかしさに、とても苛立ったのを覚えています。
ようやく病院が開く時間となり、すぐにコキチさんを病院に連れて行きました。先生に診てもらうと・・
「これだけ大きな声で鳴いているなら大丈夫。目ヤニも、まぶたの毛が長くて目に刺さるから涙が出てるだけなので、そこの毛を短く切れば問題ないですよ。」と、今まで抱えていた不安が一気に吹き飛びました♪
その後、子猫の育て方を丁寧に先生に教えてもらい、粉ミルクを買って家に帰りました。
病院を離れる際、先生が「この先3ヶ月は、とても大変ですけど頑張って下さい。」
そう言ってみえましたが、まぁーーーーーーホントに大変でした(汗)
3時間おきに
・ミルクを飲ませる
・オシッコとウンチを出させる
これが延々、1ヶ月間続きます。
当時は、私とモーさんとモーさんのお母さんの3人で暮らしていたので、話し合いの結果、3人で交代でコキチさんのミルクや排泄のお世話をしようと決めました。
しかし、モーさんもモーさんのお母さんも、コキチにミルクを上手く飲ませる事ができず、結局私が3時間おきにミルクをあげることになったのです。
この頃の私には、睡眠時間がほとんどありませんでしたが、根っから猫好きということもあり、それほどツラいとは思いませんでした。
むしろ、自分の手の中でミルクを飲むコキチさんが可愛くて可愛くて、家から一歩も出たくなかったくらいです。
問題発生
そんな育児に奮闘する中、ややこしい問題が発生。
もともと猫アレルギーを持っていたモーさんは、コキチさんが成長するにつれ持病の喘息が悪化。鼻栓をしてみたり、マスクをしたりと対策はしたものの、呼吸ができなくなるほど症状がひどくなってしまったのです。
息子を想うお母さんからは、「猫は里親に出さない?」というご提案。
しかし!
この1ヶ月ちょっと、ミルクと排泄の世話をして、可愛い寝顔も、よちよち歩きも全部見てきた今になって、コキチさんを里子に出せる訳がない!
天秤に掛ける間もなくコキチさんを育て続けることを選んだ私は、2人を残してその年の10月にペット可のアパートを借り、妹と一緒に暮らすことにしたのでした。
(こう言うと別れたように聞こえますが違いますよ。モーさんもコキチさんが大好きだけど、猫アレルギー的に同じ空間で生活するのは困難なので、住む家を分けるという、言うなれば “円満別居”です。)
新しい生活
こうして、私・妹・コキチの「2人と1匹」の新しい生活がスタート!それはそれは幸せな日常の始まりです。
この頃のコキチは、もうご飯もトイレも自分で出来るまでに成長していたので、手が掛かることはほとんどありません。その上、おもちゃを与えれば何でも遊んでくれるので、とにかく可愛くて仕方ありませんでした。
猫1匹に対して、人間の大人が4人。それはそれは甘やかして育ててまいりました。
おもちゃは次から次へと新しいものを買い与え、オヤツも常に独り占め。キャットタワーは2LDKのアパートに5台ありました(苦笑)
遊んでは「上手に取れたねぇ~♡」「よしよーし」と褒めまくり、イタズラをしても「も~…」と言うだけで、特に叱ったりもせず…、とんだバカ親っぷりを発揮していたのです。
わがままクイーン誕生
そんな育て方をした結果、見事に完成しました「わがままクイーン」。
今年の8月でコキチは6歳になるというのに、人の言うことなんて聞きゃしない。
また、4歳まで他の猫と暮らしたことのないコキチさんは、シロキーやコクロコさん達の同居が気に入らないご様子。すぐケンカを売りに行くし、縄張り主張のためか色んな所にオシッコするし…。
トイレじゃないところでオシッコをしてるの見つけて「コラッ!!」って怒ると「ニャーー!!」っと逆ギレする始末。
でもね、やっぱり寝顔はカワイイし、世界で一番愛する存在☆
それに、ずっと「いいよ」って言われてたモノを制限されて、ストレス感じてるのはコキチさんの方だから、私が「コキチさんが怒らなくてすむ環境」を作ってあげないと。
わがまま上等!
私は、コキチさんがおばあちゃんになって最期を迎えるその日まで、甘やかしながら一緒に暮らしていこうと思っています。
最後に
毎日コキチさんと一緒に生活する中で、ふと“出会いの日”を思い返したとき、全ての巡り合わせにとても感謝します。
なぜなら、今までに起こった事の歯車が一つでも違っていたら、今の猫達との幸せな生活はなかったかもしれないからです。
もしあの日、妹の仕事の帰りが遅くなっていなければ、外は真っ暗でコキチさんに気付かなかったかもしれない。
逆にもっと遅ければ、考えたくはないけど、妹が保護する前に他の車に轢かれていたかもしれない。
モーさんが猫アレルギーじゃなかったら、新しいアパートに住む事もなかっただろうから、そのアパートの近所の野良猫だったシロキーとコクロコさんにも出会うことはなかった。
そうなると、おのずとシロキーとコクロコさんの子供たちにも出会えなかった。
そしてあなたに、この記事を読んで貰えることもなかった。
だってコレは、私が11匹の猫と出会ったからこそ書ける記事なのだから。